無教養としてのアニメ
遅きに失した感があるが、先日から話題になっている『教養としてのアニメ』に言及したい。
教養とはなにか
そもそも、教養という言葉自体が曖昧というか、その場その場の都合で好き勝手に使われやすい言葉のような気がする。自分の気に入った作品にハクをつけたい、みたいな願望にちょうどいいというか。
とはいえ一定の尺度はあって、ぼくの中では以下のような要素で定義できると考える。
・人物造形の深さ
・思想性
・社会性
・芸術性・表現性
・視聴者層の広さ(特定の層に多数のファンがいる状態は非該当)
ここから見えてくる教養の意義は、「一定の文化的な修行・蓄積を積んだ」という証拠になること、「多くの人にとって価値ある作品なら自分が読んでも面白いだろう」という思考のショートカットの2つだ。なので、なにが教養かというのは自分や周囲の人間の趣味嗜好にかなり影響を受ける、ということに留意が必要だ。
アニメと教養
では、上で示した要素のレベルが高いアニメ作品には何があるだろうか。ぼくが思いつく範囲だと以下の作品くらいだと思う。
・宮崎駿・高畑勲作品(ナウシカ・トトロ・もののけ姫・千と千尋・ポニョ・火垂るの墓とか)
・エヴァ
・初代ガンダム
・まどマギ
他の作品は、価値は高いが視聴者層が狭い(lain、ウテナ、千年女優、ぱにぽに、蟲師など)か、知名度は高いが浅い(ハルヒ、ガルパンなど)のどちらかだと思う。
教養がほしいのなら映画や文学の名作に触れる方がはるかに効率的だ。映画なら1本2~4時間、文庫本なら1冊2~3時間。作品の質も高く視聴者(読者)層も広くて厚い。一方アニメだと、アタマの固い中高年はいまだに差別的なので隠さないといけないこともある。
なぜアニメが支持されるのか
今の市場で支持されるアニメ作品の多くは、上記のような教養とは関係がない。例えば今はやりの『けものフレンズ』であれば、浅い(ように見える)キャラクター造形とミステリの要素を見出せるだろう。今のアニメ市場を形成する作品の要素は2つ。
・キャラクターへの愛玩
・娯楽性
これだけだ。この2つを併せ持たないアニメは見向きもされない。これ以外の要素は、一定の支持を集める呼び水にはなっても直接お金になるわけではない。
10年代の代表と名高いまどマギを例にとるとわかりやすい。確かに放送当時、その芸術的表現や思想性は驚きをもって迎えられ話題を集めた。しかしその売り上げを支えているのは、まぎれもなくキャラクターだ。ホムラチャンを筆頭に魔法少女を愛玩するために円盤を買い、フィギュアを買い、ソシャゲでガチャをする。それだけがアニメ経済を支える源泉になっている。
アニメにとって教養は無価値だ。なぜならお金にならないから。教養を得るためには1回観れば十分でキャラクターに執着もしないので、無料の放送で十分だから。
逆に、教養を得たい人にとってアニメは無価値だ。名画や文学ほどの深みが無く、時間がかかり、何より非常にお金がかかる。無料で放送していて、かつ時間があれば、観てやってもよい。その程度だ。
結論
アニメに教養を求めるのはほとんど無意味だ。ぼくがアニメをあまり観なくなったのもこの辺りが原因なのかな、と思いました。